福祉の情勢分析 Vol.5 「地域共生社会」について
今日の福祉政策の主要な目標としては、「地域共生社会の実現」が掲げられ、昨年(2017年に)、社会福祉法が改正され、今年の4月より施行されている。この理念は2016年6月に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」(2016年6月2日)において示され、以降、厚生労働省のもとに「地域力強化検討会(地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会)」が設置され、議論が進められるなど、重要な政策課題となっている。
具体的な法改正の内容としては、たとえば第4条(地域福祉の推進)の第2項に、「地域住民等(地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を行う者)」は、「地域福祉の推進に当たっては、福祉サービスを必要とする地域住民及びその世帯が抱える福祉、介護、介護予防、保健医療、住まい、就労及び教育に関する課題、福祉サービスを必要とする地域住民の地域社会からの孤立その他の福祉サービスを必要とする地域住民が日常生活を営み、あらゆる分野の活動に参加する機会が確保される上での各般の課題を把握し、地域生活課題の解決に資する支援を行う関係機関との連携等によりその解決を図るよう特に留意するものとする」という条文が加えられ、これまで以上に地域福祉を推進することが重要な課題となっている。
「福祉サービスを必要とする地域住民及びその世帯」が対象となっており、本人だけでなくその世帯にまで対象範囲を広げている。また、「住まい」や「就労」「教育」などの領域まで拡大し、さらには「地域社会からの孤立」も含め「参加の機会」にまで言及しており、そうした課題を把握し、課題解決を図ることを求めるという内容になっている。
これまで社会福祉の制度を利用する場合は、生活保護法に端的に象徴されるように申請を原則としてきた。2000年度より施行されている介護保険法にしても、2003年度から施行された支援費制度や今日の障害者総合支援法にしても、それに基づくサービスを利用する場合には、本人もしくは家族からの申請により手続きがスタートするという仕組みになっている。とりわけ介護保険制度の導入が議論された1990年代後半から2000年代の半ばまでの間は、契約利用制度のもとで、本人がサービスを選んで契約するという「自己決定」が過剰なまでに強調された。
そうしたことをふまえると、「地域住民等」が困難な状況に置かれている人(社会福祉法では「福祉サービスを必要としている地域住民」との表現になっているが、この表現は福祉サービスを前提としているので、厳密にいえば生活上の困難に対応する福祉サービスが存在していなければ、それを必要とするという概念も成り立たなくなるので、「生活していく上で困難な状況に置かれている人」という表現がふさわしいといえる)を「把握」することが求められるので、本人やその家族からの申出に加えて、地域住民も含めて、困難な状況にある(「課題」がある)人やその世帯に気づき(「課題を把握」し)、その解決に向けて取り組むことが求められているのである。
施設や事業者からすれば、サービスを利用している利用者のみならず、その世帯にまで視野を広げて、そうした世帯・家族の課題に気づき、支援していくことが必要とされているのである。このことは、前号において述べた社会福祉法人が「地域における公益的な取組」を行う際の基本的な視点とも重なるものであるといえる。
また、社会福祉法の第106条の2(地域子育て支援拠点事業等を経営する者の責務)では、障害者総合支援法に基づく事業を実施している者などは、「当該事業を行うに当たり自らがその解決に資する支援を行うことが困難な地域生活課題を把握したときは、当該地域生活課題を抱える地域住民の心身の状況、その置かれている環境その他の事情を勘案し、支援関係機関による支援の必要性を検討するよう努めるとともに、必要があると認めるときは、支援関係機関に対し、当該地域生活課題の解決に資する支援を求めるよう努めなければならない」ということが規定されている。
困難な状況に置かれている人の存在に気づき、その人あるいはその世帯の課題を把握し、支援を展開していくには、各種専門職や関係機関・団体との連携が不可欠である。社会福祉法人は、そうしたネットワークを構築し、支援を展開していく必要がある。
ところで、「共生」とか「共に生きる」という理念は、「障害のある人もない人も共に生きる」というように、障害者福祉の分野でふるくから用いられてきた。この概念は、「障害者」と「そうでない人」というように、誰かと誰かが共に生きることを説くものである。つまり、まず人を分ける区別があって、その両者が共に生きる、という論理になっているのである。今回の改正では、福祉サービスの「支え手側」と「受け手側」といった区別をなくすべきであるとされている。
こうした理念は否定できるものではない。しかし、永遠に到達できない課題でもあるということを認識しておく必要がある。あるカテゴリーの人と別のカテゴリーの人とが共に生きるための取り組みをしたとしても、その取り組みから漏れてくる人たちが必ず存在するからである。共生とは、排除を前提とした概念であり、人が暮らしていく以上、排除がなくなることは決してない。それだけにこうした概念を過度に理想化して主張すべきではない。むしろこうしたことを語ったり、話し合ったりする際に生じる、ある種の“ためらい”に自覚的であることが重要である。そして、実現できないけれども(不可能だけれども)、求め続ける(不可避である)ということをわきまえた上で、できることから取り組むという姿勢が大切だといえる。 KCDラボ代表 松端克文