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社会を変えるためのコラム VOL.2「家族の扶養責任って…??」

ことばとは、その対象となる実態に名をつけたもの。つまり、実態が先に存在していて、それに名前をつけるというのが一般的なイメージです。でも、たとえば英語では羊はsheep、羊肉はmutton(マトン)ですが、フランス語のmouton(ムートン)は動物としての羊と羊肉のどちらも意味します。つまり、フランス語では両者を区別していないのです。

このように考えてみると、対象となるモノなりコトがまずあって、それに名前をつけているというより、名前をつけること(概念化すること)で、そのコトなりモノが意識されるようになるというほうが正しいのかもしれません。

私たちが日常的に用いている「障害者」という概念についても、18世紀あたりにできた概念です。それ以前は、実際に障害のある人はいても、その人を「障害者」とは認識していなかったので、「障害者」は存在しなかったのです。

西欧では、イギリスで1601年に世界で最初に貧困者を救済することを目的としたエリザベス救貧法が制定され、浮浪者などを収容して働かせるワークハウス(労役場)が多くつくられますが、このワークハウスに象徴されるように17世紀あたりから浮浪者や貧困者を施設に収容するという政策がとられます(フランスの哲学者M.フーコーは「大監禁時代」と呼んでいます)。そして18世紀に入ると、そうした人のなかから精神障害のある人たちを分類し、治療の対象として捉えるようになります。こうした過程を通じて「理性」という概念が誕生し、理性のない人=「障害者」というように概念化されるようになったのです。

このように西欧では早くから障害のある人を施設で保護したり、病院への入院というかたちで対応するような仕組みができていました。ところが日本では、障害のある人を保護してきたのは家族です。つまり親族扶養の名のもとに、成人になっても障害があれば、親やきょうだいが扶養することが当然視されてきたのです。

1918(大正7)年に精神科医で日本の精神障害者の医療を牽引してきた呉秀三は、ある論文で「日本においては私宅監置の状況が非常に悲惨なものであり、日本で精神疾患を患うことには、その病気の苦しさと、日本に生まれたという悲惨さとの二重の不幸がある」(要約)と述べています。西欧ではすでに入院治療の方策がとられていたのに、日本では1900(明治33)年に精神病者監護法により精神障害者に対しては「私宅監置」(自宅で家族が監禁すること)が認められており、家族に扶養の責任が押し付けられていたためです。

イギリスでは1950年代に精神障害者のコミュニティケアが議論され、精神科病院での入院ではなく、地域での生活を支援するという方向に転換され、西欧ではこうした政策が普及します。ところが日本では1950(昭和25)年に制定された精神衛生法によって、民間病院に依存するかたちで精神科の入院病棟を増加させるという政策がとられました。また、知的障害者に関しては、1960(昭和35)年に精神薄弱者福祉法(知的障害者福祉法)ができ、施設に家族による扶養を代替する役割が期待されるようになりますが、ちょうどこの時期に北欧ではノーマライゼーションの思想が普及します。

呉秀三が先の論文を書いたのが、ちょうど100年前ですが、昨年末に大阪府寝屋川市で、2018年4月に兵庫県三田市で精神障害者を家族が長い間、監禁してきたという事件が問題となりました。こうしたことからすれば、福祉サービスが整備されてきたとはいえ、家族が障害のある人の扶養の責任を負うという構造は、今日の社会においても、根本的なところで変わっていないといえそうです。

私たちがあたり前と思っている親と子どもからなる愛情で結ばれているとする「家族」も、近代化の産物です。人類普遍の形態ではありません。もっと柔軟に、もっと生きやすいあり方があるはずです。

KCDラボ代表 松端克文