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社会を変えるためのコラムVol.1「私たちは何を大切にして実践するのか!?」

KCDラボ編集会議風景

…小谷先生は職員室にかけこんできて、もうれつに吐いた。そして泣いた。…それは二つにひきさかれたカエルだったのだ。そのカエルはまだひくひく動いていた。ちらばった内臓は赤い花のようだった。……なぜ、こんな残虐なことを…??

 これは1972年に刊行された灰谷健次郎の『兎の眼』の冒頭部分です。物語は塵芥処理所の宿舎に祖父のバクじいさんと暮らす鉄三、彼のクラスメイトやその地域に暮らす子どもたち、着任して間もない新任教師の小谷芙美子先生に、先輩の足立先生らも加わって展開されます。

 学校では一言も口をきかず、何種類ものハエを飼っている小学1年生の鉄三。先の事件は、鉄三がビンに入れて飼っていたハエをクラスメイトの文治がカエルの餌にしたことで起こったものでした。だからビンを盗んだのが文治だとわかったとき、鉄三は文治の顔を爪でひっかき、骨が見えるほど手に噛みついてというようなとても乱暴なこともします。

 たぶん鉄三がハエをかわいがっていたことにはさすがに共感しにくいと思いますが、自分のかわいがっていたペットが盗まれ、他の生き物のエサにされたとしたら、鉄三の「問題行動」にも共感できそうです。私たちがついつい「問題」だと思ってしまう他者の言動の背後には、“意味”があるのだということを改めて気づかせてくれる出来事だと思います。

さて、小谷先生は着任早々このような事件があり、打ちのめされ逃げ出したくなるような状況のなかで、それでも鉄三をはじめ子どもたちと愚直に向き合い寄り添うことで、少しずつ子どもたちとの深い信頼関係を形成していきます。言葉を発しなかった鉄三の声をはじめて耳にするのも、鉄三が大切にしているハエの世界を共有していくことを通じてでした。昆虫図鑑の「ホホグロオビキンバエ」を鉄三が指さして「これや」と言ったのです。それは鉄三が飼育しているハエの名前でした。

ところでその小学校は工業地帯のなかにあり、スーパーでの万引きや家出などが頻発するなど問題の多い地域でした。塵芥処理所の煙突から出る白い灰を含んだ煙と悪臭は、地域住民に迷惑がられ、そこに暮らす子どもたちは「ゴミ屋」などとからかわれることもあり、学校でも問題になっていました。そんなある日、塵芥処理所の埋立地への移転が議会で急に決まり、その地域に住む子どもたちも転校を余儀なくされることになりました。足立先生がハンガーストライキをするなど、小谷先生たちは子どもたちが転校させられる事態を回避しようと奮闘します。そんななかで開催された臨時PTA総会で、足立先生はこんな発言をします。

「一部の子どものためにみんなが迷惑をこうむる。わたしたちははじめそう考えていたのです。しかし、それはまちがいでした。よわいもの、力のないものを疎外したら、疎外したものが人間としてダメになる…」。

 移転問題が起こる少し前に、小谷先生のクラスでは、養護学校(現・特別支援学校)に入るまでのしばらくの間、クラスメイトとなった知的障害のある女の子についての「めいわく」が話題になりました。そのときもある子が「ぼくらもおかあさんにめいわくをかけとるで」と発言するなど、彼女をクラスみんなで支えるというような取り組みになっていきます。小谷先生の情熱が、そのような展開に導いたのだと思います。小谷先生の、目の前にいる子どもと真摯に向き合う姿勢は、周囲の人たちの心に響き、池に投げた小石の波紋が広がるように“感染”しているのです。足立先生はそんな小谷先生を応援し、他の教員に次のように話します。

「…この子どもたちは、ここでの毎日毎日が人生なのです。その人生をこの子どもたちなりに喜びをもって、充実して生きていくことが大切なのです。わたしたちの努力の目標もそこにあります」。時代が移り、社会状況が変わっても、私たちが大切にすべきことは、たぶん変わらないと思います。

KCDラボ代表 松端克文