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福祉の情勢分析Voⅼ.6 「エンパワーメントについて」

社会福祉においては、重要とされる理念や考え方がいくつかあるが、そのなかでもエンパワーメントは最も重要な概念のひとつである。エンパワーメントとは、人種や障害があること、あるいは性差などにより力を奪われた状態(パワーレスの状態)にある人・人たちが、力をつけていく過程であったり、力をつけた状態を示す概念である。

障害という概念は、たとえそれを「障がい」と表現したとしても、何らかの基準に照らしてマイナスの特徴を示す概念であることは変わらない。たとえば測定知能(IQ)は、100が基準とされる。それより高くなると「秀才」や「天才」と言われたりするが、それより低くなっていくと「知的な障害がある」ということになり、そのことは学校の成績や就労の際の能力などにも影響するので、どのように表現しても、今日の社会ではプラスに評価されることはあまりない。

また、知的な障害を伴わなくても、コミュニケーション上の障害を伴いやすい発達障害などがある場合には、やはり生活していく上で多くの困難を伴う。芥川賞の受賞作品である村田沙耶香(2016)の『コンビニ人間』は、ことばを杓子定規にしか理解できないとか、マニュアルに基づくコンビニでの仕事がかえって自分(主人公)にはあっているというように、発達障害があることの生きづらさを逆説的にコミカルに描いている作品だが、作家自身の体験に基づくものであるだけにリアリティがある。

車いすを利用している人などの場合ならわかりやすいが、障害を社会との関係により規定される「社会的不利」と捉えれば、バリアフリーあるいはユニバーサル・デザインが徹底されると、物理的な側面など、障害に伴う困難のある種の側面は解消されていくといえる。しかし、車いすを利用している人でいえば、自分の足で歩くことができないという事実は残るので、障害があることが、人としての優劣に結びつけられるわけではないということは理解できても、そのことに伴う偏見や差別がすべて解消されるわけでない。

このように考えてみると、「障害がある」ということを克服していくためには(障害があるにもかかわらず、がんばる姿を称賛するという意味での「障害の克服」ではなくて)、ソーシャルアクションが不可欠となる。たとえば人種による差別をなくしていくためには、声をあげ、それに賛同する人を増やし、運動の輪を広げていかなければならない。エンパワーメントはこうした運動のなかから生まれてきた概念である。

差別とは、「人々が他者に対してある社会的なカテゴリーをあてはめることで、他者の個別具体的な生それ自体を理解する回路を遮断し、他者を忌避・排除する具体的な行為の総体をいう」(『現代社会福祉辞典』有斐閣、2003)。こうした差別に立ち向かうためには、個人やある集団が侵害されている、諦めさせられている、あるいは奪われている権利や理不尽な状況を明らかにし、個々人の心理的な次元だけでなく、経済的側面や法的・政治的側面なども含めて社会的な次元においても、多面的で重層的に形成されている差別の構造に向き合う必要がある。エンパワーメントは、こうした問題を解決していくための力をつけていく過程であり、そうした力をつけた状態をいうのである。

この図は、世間的な価値観と差別を克服することとの関係を示したものである。たとえば「できない/できる」という能力の観点から人を評価する世間的な価値観に対して(A)、「人を能力で判断するなんてよくない」という価値観を対置することがよくあるが(A')、そこに留まっているのであれば、やはりAの価値観に縛られているといえる。したがって、「そんなことはたいしたことではない」、さらにはそんなふうにさえ思わないような状態(B)になれれば(図では「居直りの実践」の展開)、Aの価値観からは自由になれるといえるのだが、そのためには「福祉教育」が重要になるし、何よりもそのような価値観を共有することのできる「仲間」との出会いや交流が大切になる。それは阻害されていたり、排除されている場所から、“私”を、“私たち”をエンパワーメントし、そして社会を変えていく闘いでもある。

人がエンパワーメントできていれば、目に輝きがあり、いきいきとしているし(逆にパワーレスの状態に置かれれば、目は輝きを失い、活力がなくなっていくし)、そうした状態は、周囲に“感染”していく。私たちが暮らしていく上では、いつの時代でも、どのような社会でも、障害のあるなしにかかわず、生きづらさが大なり小なりある。そうした生きづらさは、個々人で悩み、立ち向かうよりも、仲間とつらさを共有し、一緒に取り組むほうが効果的である。

障害などがあるために困難な状況に置かれている人・人たちが、支援のプロセスを通じてエンパワーメントしていき、支援にあたっているワーカー自身も支援を通じてエンパワーメントし、そうしたエンパワーメントが“感染”していくと、少しずつでも暮らしやすい社会になっていくのではないかといえる。

KCDラボ代表 松端克文